こんにちは、ayurinnです。
2024年12月26日放送の『カンブリア宮殿』に、全国から年間130万人が訪れるという魚のテーマパーク「魚太郎」の社長を務める梶山美也さんが登場。
鮮魚店である魚太郎は、一般的な鮮魚店とは一線を画す方法で、急成長を遂げた企業。
その急成長を成功させたのが、二代目社長を務める梶山美也さんなのだとか。
実は、梶山さんは、最初から鮮魚店で活躍していたわけではなく、別の業界からやってきた異端児。
そんな梶山社長の異色の経歴・学歴や前職、気になる年収や家族構成などを徹底調査!
梶山社長を調べていくと、実は前職での華々しい経歴をなげうって、魚太郎の二代目社長に就任したというかっこいい一面も明らかに・・・。
少しでも興味がある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
魚太郎社長・梶山美也さんwiki経歴まとめ!
学歴
三重県生まれ、愛知県育ちという梶山社長。
高校卒業後に、進学先に選んだのは、アメリカにあるウエスト・バージニア大学。
子供の頃から、海外への憧れが強かったという梶山社長は、迷うことなくアメリカ留学を決めたのだそう。
梶山社長が学んだウエスト・バージニア大学は、1867年に創設された伝統ある州立の総合大学。
3代目のアメリカ大統領・トーマス・ジェファーソンによりつくられた大学で、世界遺産にも登録されている歴史的建造物や文化が残るキャンパスが特徴。
経済学や法学系では、アメリカの州立大学でもトップクラスで、名門校として知られています。
そんな有名大学を卒業し、帰国した梶山社長が就職した企業も、彼女の学歴にふさわしい有名企業でした。
前職
現在は、魚太郎の二代目社長としての方が、有名な梶山さんですが、社長に就任する前の前職も、素晴らしい経歴でした。
アメリカ留学から帰国した後、彼女が就職先に選んだのは、大手広告代理店の旭通信社(現アサツーディ・ケイ)。
その後、外資系の広告代理店での勤務を経て、1993年、ホテル「パークハイアット東京」に入社。
「パークハイアット東京」の開業のために、マーケティングの責任者として声がかかった彼女は、最終的にセールス&マーケティング支配人を務めるまで、12年間ホテルマンとして、順調にキャリアを重ねていったのだそう。
このまま、さらにキャリアを重ねていくのかと思われた矢先、転機が訪れます。
それは、愛知県で水産業を営む父親からの家業を継いでくれないかという要請。
今まで築き上げたキャリアを捨てて、未経験の水産業に飛び込むということは、かなり勇気のいる決断だったのではないでしょうか。
しかし、常に前向きな梶山社長らしく、これも運命だろうと割り切り、地元へ戻ることを決意。
当時、41歳だった梶山社長の、新たな挑戦のはじまりでした。
魚太郎二代目社長就任後の経歴
父親の要請により、地元に戻った梶山社長。
彼女の新たな挑戦は、順風満帆とはいかなかったようです。
父親の経営する水産業は、地元に根付いた企業で、従業員も地元で生まれ育ち、海や魚に精通したベテランばかり。
魚について素人だった梶山社長が、社長の親族というだけで受け入れられるような甘い世界ではなかったようです。
海の男というと、職人気質で厳しいイメージが強いですよね。
しかも、根強い男社会だったはず。
いくら華々しいキャリアを積んだ梶山さんといえども、畑違いのキャリアだったため、厳しい目で見られたことは簡単に想像できますよね。
ですが、そこは持ち前の根性と行動力で、以前から働いている従業員を尊重しながら、改善すべきところはしっかり主張して改善し、成長につなげるという姿を示しつつ、過去最高の売り上げを達成。
そして、頑張ってくれた従業員のために、その売り上げを給与に反映することも忘れなかった梶山社長の手腕により、「この人についていけばいいことがある」というイメージが浸透し、一つのチームとしてまとまることができたのだそう。
さらに、社長に就任した当初は、本店のみの1店舗経営だった魚太郎の多店舗化に踏み切ることに・・・。
セリに参加する権利を持っていたことも強みとなり、本店からわずか車で30分という立地に、新鮮な魚介類を食べられる食堂を作り、他の鮮魚店との差別化を図ることに成功。
ここから、加速度的に多店舗化を進めるのかと思われましたが、魚の鮮度が落ちてしまったのでは意味がないと、車で2時間圏内で移動できる立地はないかと探し回り、たどり着いたのは、まさかの山の中にある可児市。
かなりのチャレンジとなった出店でしたが、地元可児市の方にも喜んでもらえた上に、他県からも多くのお客様が訪れる繁盛店に成長。
その後、愛知県大府市に同じ形態の店舗を出店し、さらに実績を伸ばしているとのこと。
現在では、愛知県と岐阜県に6店舗を展開。
年商65億円を超える大企業に発展。
従業員数も500人を超え、今なお、出店依頼が絶えないのだそう。
日々、仕入れられる新鮮な魚介類が、X(旧Twitter)にも投稿されていました。
ぜひ、私の地元にも出店してほしいと思いながら、いつか、愛知県のお店に行ってみたいと計画中です。
梶山美也さんの気になる年収は?
前職のパークハイアット東京時代でも、セールス&マーケティング支配人を務めていたという梶山社長は、当時から、かなりの年収を稼いでいたのではないかと推測できますよね。
そして、現在、年商65億円を超える人気鮮魚店の二代目社長。
ということは、「現在も、かなりの額の年収を稼いでいるのでは?」という下世話な考えがむくむくと湧いてきてしまいました。
当然、梶山社長の年収は公表されていませんので、一般的な経営者の年収をもとに、考察していきたいと思います。
当然、年商65億円と言っても、事業を継続するためには、様々な経費が掛かりますよね。
税金もかなりの額が徴収されることでしょう。
そんな状況で、経営者の手元に入ってくる収入はどの程度になるのでしょうか?
人事により実施された「民間企業における役員報酬(給与)調査」によると、企業規模が500人以上1000人未満の事業所の平均的な役員報酬額は、4225.5万円/年という結果が・・・。
さらに、社長が自社の株式を50%以上保有するオーナー社長の場合には、配当が上乗せされる場合も。
公式ホームページで、従業員数約500名と公表されているので、梶山社長の年収を一般的な平均年収に当てはめると、4300万円程度ということになるのではないでしょうか?
「年商65億円を稼ぎ出す企業の経営者の年収としては、少ないのでは?」
と感じてしまったのですが、皆さんはどのように感じますか?
経営者の方の報酬の決定は、株主総会や取締役会で決定されることであり、従業員の給与などとの兼ね合いから決められていると思うので、妥当な数字なのでしょう。
一般のサラリーマンの十倍近くの収入を得ていることにはなりますし、年収850万円以上あれば「高所得者」と言われているので、かなりの額を稼ぎ出していると言えると思います。
梶山美也さんの家族構成徹底調査!
まず、梶山社長の家族構成は、父親・母親・三姉妹の5人家族だと思われます。
根拠は、以前、インタビューを受けた際に、三姉妹の長女である美也さんに、水産業を営む父親から家業の手伝いをお願いされたと語っていたから。
もし、美也さんに男の兄弟がいれば、その兄弟が後を継ぐことになったのではないかと思われるため、兄弟は3人だと考えられます。
父親である川瀬美智夫氏のことを尊敬していると語っていた美也さん。
美也さんに事業を継いだ後は、経営に関して一切口を出すことはなかったそうです。
昔気質の経営者であれば、自分のやり方と違う方法で、事業を行おうとすれば、どうしても口を出したくなってしまうものだと思われますが、全く口を出さず、全権を委任。
長女である美也さんのことを、全面的に信頼していたということなのでしょうね。
責任は、美也さんの肩に重くのしかかったが、その分、彼女のやりたいように存分に能力を発揮できた結果が、現在の成功につながっているようです。
母親に関する話は、公表されていませんが、多忙な夫を支え、三姉妹をしっかり育て上げた素敵なお母さんだったのではないでしょうか?
アメリカへの留学を希望していた美也さんの背中を押してくれたご両親ですから、きっと人間的にもできた方々なのでしょう。
梶山社長を見ていると、家族の愛情を一身に受け、すくすくとまっすぐに育ってきたのではないかなと感じます。
また、梶山社長には、結婚した旦那さんと娘さんが一人いらっしゃいます。
大学教員をしている旦那さんは、梶山社長が家業を継ぐかどうか迷っている時に、そっと背中を押してくれたのだそう。
2016年のインタビューで、このことを話してくれた梶山社長。
当時は、四国の大学で教鞭をとっていたようですが、そのうち名古屋の大学へ移るからと話していました。
さらに、このインタビューの時に中学生の娘さんがいることを明かしていました。
どうやら、娘さんを溺愛しているようです。
「子供がこんなにかわいいものだと知って、もう一人ほしいと思ったのですが、社長業と育児で手一杯。断念しました。」と無念そうに語っていた姿が印象的でした。
多忙な梶山社長も、素敵な家族に支えられながら、頑張ることができているのでしょう。
魚太郎社長の梶山美也さんが『カンブリア宮殿』に出演
市場直送の新鮮な魚介類が、本当に美味しそうな次回予告。
お魚を食べたいと思っても、下処理が難しくて、自分で料理するのも難しくて、自宅で美味しいお魚を楽しむのって難しいですよね。
やっぱり、お魚は、プロが美味しく調理してくれたものを味わいたいと思う今日この頃。
そんな希望を叶えてくれるのが、まさしく、梶山社長が手掛ける「魚太郎」。
回転ずしや海鮮バーベキューを楽しめる鮮魚店なんて、絶対美味しいに違いありません。
年間130万人が訪れるというのも納得です。
接客を行う梶山社長の、はきはきした掛け声と、元気な笑顔に、このお店の盛況ぶりが表れていますよね。
ぜひ、一度訪れてみたいです。
まとめ
いかがでしたか?
『カンブリア宮殿』で特集された「魚太郎」の二代目社長・梶山美也さんについて、ご紹介しました。
- アメリカの大学に留学後、大手広告代理店を経て、「パークハイアット東京」の開業の際に、マーケティングの責任者を務め、最終的にセールス&マーケティング支配人を務めていたという梶山社長。
- そんな輝かしいキャリアを捨て、父親の要請により、家業を継ぐという決断をし帰郷。
- 様々な苦難を乗り越えながら、従業員の信頼を得て、年商65億円を超える利益を生み出す企業へと成長させた梶山社長の手腕には圧倒されます。
- そんな梶山社長の年収は、4300万円程度と推測。
- ご両親、姉妹、旦那さん、一人娘に支えられ、新しい挑戦を続ける梶山社長の姿は、憧れを超えて、尊敬の念すら抱くほどです。
今後、ますますのご活躍を祈念しつつ、ぜひ、全国各地に出店していただきたいと思わずにはいられません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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