こんにちは、ayurinnです。
先日、2024年8月27日放送の『ザ!世界仰天ニュース』の次回予告が目に飛び込んできました。
「日本初のセクハラ裁判を起こし、大逆転勝利で歴史を変えた!」
私は、この事件を知りませんでした。
「いつの話だろ?」
これが、最初に抱いた疑問。
詳しく調べてみると、30年以上前の1980年代。
当時は、女性が社会進出するのが珍しく、セクハラをはじめハラスメントという概念すらなかった時代。
そんな時代に、勇敢に戦った女性がいたのかと、興味がわきました。
- 日本初セクハラ訴訟の原告女性である「まゆみさん」とは、どのような女性なの(プロフィールや経歴は)?
- そもそも、日本初のセクハラ訴訟とは、どんな事件だったの?
など、様々な疑問が湧いてきてしまったので、皆さんにもご紹介したいと思います。
少しでも気になった方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
日本初セクハラ裁判「福岡セクシャル・ハラスメント事件」とは?
性的な嫌がらせを受けた上、退職させられたと主張し、会社側に慰謝料を求める裁判。
今から30年以上前の1989年。
当時の風潮は、男性優位で、セクハラという言葉はもちろん概念すらなかった時代。
本名を明かせば、誹謗中傷、バッシングを受けることが予想されたため、原告・被告は匿名で裁判が進行。
原告女性のまゆみさんは「A子」、被告会社は「出版社」。
当初は、裁判を起こすことすら簡単ではなかったと言います。
退職後、フリーランスのライターとして活動する中、性的嫌がらせを受けた編集長に謝罪を求めた調停では、調停員から信じがたい言葉を掛けられたのだとか。
「女性は男性の目を引くうちが花」。
現在だったら、考えられませんよね。
女性を馬鹿にしているとしか思えません。
さらに、弁護士に相談するも、「提訴すら難しい」と、門前払いの状態。
「もう、この理不尽を訴える場はないのか?」とあきらめかけたその時、地元の新聞記事で「女性専門の弁護士事務所」ができたことを知ったのだそう。
藁にも縋る思いで、その弁護士事務所を訪問。
迎えてくれた弁護士の辻本育子さんから出た言葉は・・・。
「できるわよ、裁判。これは明らかに性差別。あなたは女性だから会社を辞めさせられたの。」
やっと、訴訟を起こす準備ができたまゆみさんでしたが、裁判中も苦難の連続。
日本では全く前例のない裁判だったうえに、物的証拠もない。
それをいいことに、被告から出てくる証言には多くの嘘が含まれ、二次的被害を受けることに。
お酒を飲むことが、忙しい日常の息抜き・ストレス解消になっていたまゆみさんの行動すら、まゆみさんの評価を落とすイメージ操作に利用されることも・・・。
被告側の弁護人からは、
「週に何回飲みに行っていたのですか?」「酒の量はどのくらいですか?」「女性がお酒を飲むことに、罪悪感とか思っていませんでしたか?」「「世間的に恥ずかしいことだとは思っていませんか?」「思っていませんか?」・・・。
その問いにまゆみさんは、「思っていません」と毅然とした態度で回答。
のちに、原告側勝訴の判決を下した裁判長川本隆さんは、このやり取りをみて、「男は飲みまわってもいいけど、女は飲みまわっちゃいかんというのは、ちょっと変だなあ。」と感じたのだそう。
これをきっかけに、元々持っていたステレオタイプの女性観を捨て、色々な視点を変えていくきっかけになったと、当時を振り返っていました。
まゆみさんの理不尽に寄り添ってくれた辻本弁護士、勇気を持って原告側の証言者として証言台に立ってくれた同社のアルバイト女性、支援団体、世論など、様々な支援を勝ち取り、「勝ち目のない裁判」を見事大逆転勝利。
当時のことは、著書『さらば、原告A子:福岡セクシャル・ハラスメント裁判手記』にまとめられています。
興味のある方は、探してみてください。
この事件を終えたまゆみさんは、今も理不尽な対応に悩む女性へこんな言葉を伝えてくれています。
「 “声を上げる”ということは、バトンを持って走りだすことみたいなものです。でも、それがつらくて、やめたいと思ったらやめてもいい。やめたとしても、それはバトンを落としてないんです。誰かが拾ってくれるし、拾った誰かが走り出してくれる。そうして、次のバトン、次のバトンって渡っていく。その結果、時代って必ず少しずつ少しずつ変わっていくんだと思います。これからも問題はいっぱい出てくるだろうけれども、女性たちがめげずに、バトンを次のあなたに、次のあなたにって渡していってくれたら、私は裁判をやった価値があったと思っています」
現在も、同様の差別やハラスメントが後を絶たない時代です。
自分一人のチカラは、微々たるものかもしれませんが、訴えることでバトンをつなぎ、これまでもそうだったように少しずつより良い方向へ変わっていく可能性があるなら、行動する勇気も必要なのかもしれません。
まずは、一人で悩まず、信頼できる誰かに相談することから始めてみるのがいいかもしれませんね。
晴野まゆみさん(日本初セクハラ裁判原告女性A子)wiki風プロフィール!経歴は?
プロフィール
現在は、福岡市に「チームふらっと」という会社を立ち上げ、2人のスタッフと共に、観光情報を発信するサイトを運営し、冊子を作っているというまゆみさん。
あの、歴史的な判決を導き出した裁判後、同じような訴えが各地で起こり、現在の「ME too」運動にもつながるような大きな流れに・・・。
男女雇用機会均等法が改正され、1999年4月からは、事業主にセクハラの防止や対策に努める配慮義務が求められるようになりました。
女性の社会進出に伴い、発生する様々な理不尽や差別に対し、真っ向から立ち向かい勝ち取った勝利により、以前とは比べ物にならないくらい前進したと思います。
男性から女性に対するセクハラにとどまらず、女性から男性へ、さらには同性同士であっても、様々なハラスメントに発展する可能性があることを認識することが必要なのではないでしょうか?
そして、理不尽な扱いを受けた場合には、主張する強さを持つことも大切なんですね。
泣き寝入りせず、仲間を集めて立ち向かっていきましょう。
経歴
- 1957年8月に東京に生まれる
- 1971年10月、福岡市へ転居
- 1980年3月、西南学院大学文学部外国語学科英語専攻卒業
- 1986年、大学生向け情報誌などを編集する福岡市の出版社へ入社
- 1988年、同社を解雇
- その後、フリーのライターとして独立
- 1989年8月5日、日本初セクハラ裁判を提訴
- 1992年4月16日、全面勝訴
- 1996年、「「原告A子」は私です。」と実名を公表
- 2001年8月、著書『さらば、原告A子:福岡セクシャル・ハラスメント裁判手記』出版
- 2011年、西日本の道の駅に特化した情報誌『ふらっと』を創刊
- 2012年、「株式会社チームふらっと」設立、代表取締役就任
- 2021年、母校である「西南学院女子同窓会」による「SEINAN Woman of the Year 2021」を受賞
原告A子として、裁判に勝利した晴野まゆみさんですが、実名を公表できないことに様々な葛藤を抱えていたと言います。
まゆみさん自体、ライターとして自身の言葉で実名を明かし、自分の気持ちを書きたいと思うように・・・。
しかし、ともに戦った弁護士や支援団体からは、「あなたの痛みは伝わらない」と反対されたのだそう。
皆の支援があったからこそ、勝ち取った判決。
お世話になったという思いがあるからこそ、葛藤する日々。
様々なストレスにさらされ、心身ともにボロボロになった2年8か月に及ぶ裁判。
長年辞めていた煙草を吸いながら、「A子から解放されたい」という思いが・・・。
そして、勝訴から3年後の1995年8月、参加したセミナーですべてをさらけ出すことに。
「セクハラ裁判の原告は、私なんです。」
ようやく自分が取り戻せたと感じたと言います。
その後、実名で新聞に登場。講演で体験を語ることも。
ライターの仕事を続ける中で、裁判から10年後に、あの編集長と仕事場で顔を合わせることが・・・。
その頃には、「編集長も男社会の被害者だったんだ」という思いが強く、「男としては女に仕事で負けられない」そんな古い価値観にとらわれていたんだと考えられるようになっていたため、自然と「お久しぶりです」と挨拶できたのだそう。
そのエピソードを見た時、晴野まゆみさんとは、本当に強い女性なんだなと思いました。
私だったら、いつまでも当時の恨み・怒りを忘れられず、根に持ってしまうと思います。
環境のせいだったとは割り切れません。
そんなまゆみさんが設立した「株式会社チームふらっと」には、「誰にも平等な社会に」という願いが込められていると言います。
理不尽な差別に立ち向かい、勝利を勝ち取った晴野さんだからこその切実な願いだと感じました。
性別による違いを受け入れつつ、お互いがお互いを認め、理不尽な差別がない平等な社会が広がっていば、そんな素敵なことはないですよね。
私も「誰にも平等な社会」が実現することを願っています。
まずは、身近なところから、平等について考えてみたいと思いました。
まとめ
いかがでしたか?
「日本初のセクハラ裁判を起こし、大逆転勝利で歴史を変えた!」という衝撃的な次回予告に興味を持ち、原告女性の晴野まゆみさんについて、ご紹介しました。
- 男性優位の社会の中で、勇敢に、自身の理不尽な差別を訴え、見事勝利をつかんだ晴野さん。
- 女性専門の弁護士事務所を立ち上げた辻本弁護士をはじめ、同じ職場の女性の同僚や、支援団体に支えられ、その姿勢が裁判官、ひいては世論を動かし、全面勝訴へとつながったのではないでしょうか。
- プライバシーの保護を尊重し、匿名で審理が進められた異例の裁判でしたが、その後、実名を公表。
- ライターとして活動しながら、「誰にも平等な社会を」という願いを込めて「株式会社チームふらっと」を設立。
- 観光情報を発信するサイトを運営し、冊子を発行するなど、精力的に活動しています。
今後ますますのご活躍を祈念しております。
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