こんにちは、ayurinnです。
2024年4月10日放送の『上田と女が吠える夜』におニャン子クラブで活躍されていた国生さゆりさんが登場。
おニャン子時代の孤立エピソードを披露してくれるのだとか。
どうやらアスリート思考で周りから浮いてしまったとのこと。
一体どういうことなのでしょうか?
トークの内容も気になりますが、おニャン子クラブに在籍していた当時の国生さゆりさんの活躍ぶりが気になってきました。
昭和のアイドルグループの先駆けとして一世を風靡した印象の強いおニャン子クラブですが、解散してから早36年という月日が流れてしまいました。
当時の活躍ぶりを知らない方の方が多くなってしまったかもしれませんね。
ということで、当時の国生さゆりさんの活躍ぶりを振り返りながら、プロフィールやこれまでの経歴についてご紹介したいと思います。
今でもお美しい国生さんですが、当時の活躍ぶりも気になるというそこのあなた、ぜひ、最後までお付き合いください。
国生さゆりさんのおニャン子時代とは?
国生さゆりさんが所属していたおニャン子クラブとは、
フジテレビの人気番組『夕やけにゃんにゃん』から誕生した女性アイドルグループ。
当時のアイドルと言えば、中森明菜さんや松田聖子さん、小泉今日子さんといったソロのアイドルが主流の時代。
今では当たり前のアイドルグループという形態自体が目新しいものでした。
そして、プロデュースを担当したのが、現在もヒットメーカーとして大活躍中の秋元康さん。
さらに、急激なブレイクで強烈な印象を残していただけに、活動期間わずか2年半(1985年~1987年)という事実を知った時には、驚きました。
そんな短期間に、超多忙なスケジュールで活躍していた国生さゆりさんですが、当時の活躍ぶりはどんなものだったのでしょうか?
国生さんは、おニャン子クラブの最初期メンバー11人の一人として活動を開始。
当時、広島県で高校に通っていた国生さんは、唯一の地方出身者ということもあり、コンプレックスを感じていたと言います。
しかし、高校時代は陸上競技の短距離走でインターハイにも出場するほどの実力を持ち、0.01秒を縮めるために日々の練習を欠かさなかったという根性の持ち主。
その持ち前の根性と負けん気の強さで、先輩や同期の仕事ぶりを観察し、自分のものにしていったと言います。
それでも、結成当初から、順風満帆ではなかったようです。
おニャン子クラブの他メンバーが続々とソロデビューする中、国生さんにその機会はなかなか回ってきませんでした。
やっと国生さんにソロデビューのチャンスが回ってきたのから、結成から1年ほどが経とうとしていた頃。
現在でも、バレンタインの季節が来ると耳にすることも多い『バレンタイン・キッス』でソロデビュー。
オリコンでも2位という記録を残しています。
当時のジャケット写真がこちら。
昭和のアイドル全開の写真に懐かしさを感じます。
その後は、歌手活動にとどまらず、映画やドラマへの出演やCM出演など活躍の場を広げていきました。
当時のCM動画も発見しましたよ。
さらに、卒業直前には映画『愛しのエリー』で初主演もつとめました。
国生さんも「ファンだった三浦友和さんと共演できたことが嬉しかった」と、当時を振り返っていた場面も。
私の中では、3代目のカネボウキャンペーンガールに選ばれたことが記憶に残っています。
自身が歌う『ノーブルレッドの瞬間』とのタイアップも話題に。
この曲は、オリコン1位を記録しています。
まだあどけなさが残る中、妖艶な表情でメイクをする姿に惹きつけられたことを思い出しました。
当時の映像は、コチラで紹介することはできませんが、YouTubeでも公開されているので、気になる方は探してみてくださいね。
そんなおニャン子クラブでの活動が印象に残っている国生さんですが、改めて、どのような方なのかプロフィールや経歴に迫っていきたいと思います。
国生さゆりwiki風プロフィール
鹿児島県鹿屋市出身の国生さん。
現在は、ふるさと魅力を伝えたいと「かやのばら大使」として活動。
父親が海上自衛官だったこともあり、長崎県や広島県などを転々としていた彼女ですが、小学校高学年から中学、高校と過ごした鹿屋市は思いで深い故郷なんだとか。
美味しい食べ物や観光地について、雑誌やインタビューで故郷の魅力を熱く語る国生さんの姿を見ていると、本当にいいところなんだろうなという気持ちに。
さらに、鹿児島県と言えば、焼酎が有名ですよね。
国生さんも、美味しい焼酎や飲み方について、イベントなどで教えてくれていましたよ。
彼女自身もお酒をたしなまれる印象があったので、さすが、鹿児島県出身と思っていたのですが・・・。
なんと「日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会認定焼酎アドバイザー」資格も所持しているという国生さゆりさん。
故郷の魅力をPRするために、「焼酎アドバイザー」という箔も付ける徹底ぶりに、彼女の本気が垣間見えるような気がしました。
気持ちがこもっているからこそ、みんなに故郷の魅力が伝わるのでしょうね。
私も、ぜひ、国生さんの故郷である鹿児島県を訪れてみたいと思います。
国生さゆりさんの経歴は?
おニャン子クラブとして活動されていたのが、1985年~1987年の2年半。
国生さんが、18歳から21歳の頃まで。
現在、57歳になっているので、おニャン子クラブが解散してから36年が経過。
解散後の経歴の方が長いはずなのに、いまだに、おニャン子クラブの活動が記憶に残っているってすごいことですよね。
さらに、おニャン子クラブの解散と当時に、芸能活動を辞めたメンバーも多い中、現在でも現役で、しかも最前線で活躍されている国生さん。
卒業後の経歴について、調べてみたのでご紹介します。
1988年、卒業後は女優として、数多くのドラマや映画に出演し、「エランドール新人賞」を受賞
きらきらとしたアイドルというイメージから一転、影のある役が似合う女優という一面も見せ、演技の幅が広がっていきました。
さらに1995年4月から始まった『ウッチャンナンチャンのウリナリ』にレギュラー出演し、バラエティーへの活動も広げていきます。
その後も、映画やドラマ、バラエティーなど、レギュラー出演は少ないものの、存在感のある演技で見るものを魅了しています。
最近では、小説家として多数の作品を発表。
コロナ禍をきっかけに、小説を書き始めたのがきっかけ。
ペンネームは、本名の「國生さゆり」。
現在は、「小説家になろう」というサイトに、書き上げた小説をアップしているとのこと。
その数なんと200話を超えているのだとか。
まさかの本格小説で、内容も面白いと話題に。
一読の価値がありそうですね。
一方で、私生活では様々なスキャンダルも話題に・・・。
親交の深かった大物芸能人との不倫騒動や、2度の結婚と離婚など、お騒がせ芸能人としても、何かと話題になる方ですよね。
そんな国生さんですが、テレビに出演された時の歯に衣着せぬ物言いや、不倫騒動の際の潔さなど、なぜか好感が持ててしまうところも、彼女の持って生まれた特性でしょうか?
ついつい、話に引き込まれて、気が付けばどっぷりはまっている自分がいます。
そんな国生さんだからこそ、競争の激しい芸能界でも、これまで生き残ってこれたのでしょうね。
今後の活動にも、要注目ですね。
まとめ
いかがでしたか?
おニャン子クラブでの活躍が強烈なイメージを残している国生さゆりさんについて、ご紹介しました。
- 国生さゆりさんが活躍していたおニャン子クラブの活動期間は、わずか2年半。
- 結成当初は目立たない存在だった国生さんでしたが、『バレンタイン・キッス』でのソロデビューをきっかけに、ドラマや映画、CMなど活躍の幅を広げていきました。
- おニャン子クラブ解散後は、女優として様々な役柄を演じ、出演する作品では存在感をアピール。
- 私生活では、お騒がせ芸能人として、不倫騒動や二度の結婚離婚を繰り返すなど、自由奔放な一面も。
- 最近では、「なろう作家」として、小説家「國生さゆり」の活動も注目されています。
そんないろいろな顔を見せてくれる国生さんから、目が離せませんね。
これからも、幅広い活躍で私たちを魅了してくれることを期待しています。
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