こんにちは、ayurinnです。
2024年4月12日に放送される『ガイアの夜明け』では、今年の4月から始まった運送業に対する時間外労働規制に注目。
バスやタクシーなど早急の対策が迫られている物流業界をクローズアップ。
そんな厳しい状況の中、ITベンチャー企業として大注目の「電脳交通」が登場。
その「電脳交通」の社長を務めているのが近藤洋祐氏です。
地元徳島でも有名な人物で、どうやら異色の経歴の持ち主という噂も・・・。
- 近藤洋祐さんって、いったいどんな人なの(プロフィールは)?
- ITベンチャーの社長さんていうけど、学歴は?
- 異色の経歴の持ち主ってどういうこと?
など、気になることがたくさん出てきたので、皆さんにもご紹介します。
今後の日本の未来を考えつつ、近藤洋祐さんについて少しでも気になった方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
近藤洋祐wiki風プロフィール
小学校3年生の時の授業で、学校に導入されたPCに触れたことがインターネットに出会うきっかけだったという近藤氏。
その日から、一日としてPCに触れない日はないくらい、インターネットを通じて世界や最先端と触れ合っていたのだとか。
当時は、PCもまだマイナーな存在で、現在のように生活に密着しているという環境ではなかったことを思い出します。
その頃から、インターネットに慣れ親しみ、生活の一部として切り離せない存在となっていたからこそ、大人になって事業を起こすときに、すんなりとITを取り入れることができたのではないでしょうか。
やはり、子供の頃に興味を持って取り組んだことというのは、大人になっても強い影響力を持っているのかもしれませんね。
新しい技術にも積極的に取り組む好奇心旺盛な近藤氏ですが、学生時代はどのような生活を送っていたのでしょうか?
学歴について、ご紹介します。
近藤洋祐氏の学歴は?
- 出身高校:徳島県立城ノ内高校
- 出身大学:インディアンヒルズコミュニティ・カレッジ(アメリカ)
通学していた小学校や中学校についての情報は、公表されていませんでした。
近藤氏が高校生活を過ごした徳島県立城ノ内高校は、2023年4月に生徒数の減少などの理由から閉校し、中等教育学校である徳島県立城ノ内中等教育学校に移行。
城之内高校自体は、徳島県内でも有名な進学校で部活動も盛んな学校だったようです。
近藤氏も、当時、メジャーリーグに挑戦していたイチロー氏に憧れ、野球部に入部。
高校から始めた野球で花形のピッチャーとして活躍する姿を夢見ていたと言います。
ただし、そんな夢は周囲には理解されず、馬鹿にされることも・・・。
そんな時でも、「それは、当然。」と冷静に俯瞰する自分も感じていたのだそう。
そして、周囲とはかけ離れている自分の実力をあげ、周囲に追いつき、追い越すために、「自分だけの努力が必要だ」と決意。
部員が帰ってからも自主練習に励み、デジカメを使ってフォームをチェックしたり、化学的な筋力トレーニングも練習に取り入れたのだとか。
そんな環境の中で、自分の中に「創意工夫する癖」が磨かれていったと言います。
その癖が、ベンチャー企業を立ち上げる時にも大いに役立ち、現在の活躍に繋がっているのでしょうね。
そんな野球漬けの生活をしていた高校を卒業した近藤氏。
進学した先は、アメリカにあるインディアンヒルズコミュニティ・カレッジでした。
こちらの大学は、アメリカアイオワ州にある1966年に創立された公立2年制の大学です。
教員一人に対して学生10人という少人数教育を受けられることが魅力の一つ。
さらに、40以上の学生クラブがあり、勉強だけでなく充実した課外活動に取り組むことができ、社会的な経験が積めるのも特徴なんだとか。
説明を聞いていると、大変魅力的な学校のようですが、日本では、あまり知名度はないですよね。
なぜ、この大学に進学を決めたのでしょうか?
どうやら、その理由に異色の経歴と言われる秘密が隠されているようです。
詳しくは、次の項目でご紹介します。
近藤洋祐氏の異色の経歴とは?
高校卒業後、18歳の時に、単身で渡米。
その理由は、
メジャーリーガになるため
実は、近藤氏は、ITベンチャーの社長になる前は、メジャーリーガーという大きな夢を抱き、アメリカで挑戦していました。
高校2年生の頃から、高校卒業後は渡米してメジャーを目指すと公言していたという近藤氏。
ですが、甲子園への出場経験もなければ、野球を始めたのも高校に入ってから。
近藤氏自身も、野球のエリート街道から外れている自分を自覚しながら、初めて夢中になれたものだから、自分のやり方で突き進みたいと行動。
そんな挑戦をご両親はどんな気持ちで後押ししてくれたのでしょうか?
無謀とも思える挑戦を認めてくれた両親の懐の深さに、頭が下がる思いです。
しかし、夢を抱き渡ったアメリカは、実力主義の厳しい社会。
渡米して4年間、渡米直後にひじを故障し、投手から野手に転向するという転機がありながらも、一時は一軍で活躍する場面も。
しかし、1軍に定着することはできず、無念の内にメジャーリーガーへの挑戦は失敗に終わります。
ただし、転んでもただでは起きない近藤氏。
アメリカ生活で身につけた「結果を出すことにこだわる文化」そして、生き残るための「生存本能」。
そんな強力な武器を持って、帰国後、新たなチャレンジを始めました。
- 2009年、吉野川タクシー入社
- 2012年、吉野川タクシー代表取締役に就任
- 2015年、電脳交通を創業・代表取締役CEOに就任
- 2019年、徳島大学客員教授に就任
徳島の実家がタクシー会社を経営していたという近藤氏。
メジャーリーガーの夢破れた後、やるべきことが見つからず、困った時は「原点に立ち返る」という信条の下、徳島に帰郷。
潰れかかって瀕死の状態の家業を目の当たりにしたと言います。
最初はタクシードライバーとして家業の吉野川タクシーに入社。
一緒に働くドライバーたちの低迷した空気感に、事業を再建することに魂を注ぐことを決意。
メジャーリーガーに挑戦してきた時のような、熱いモチベーションが湧きあがってきたと言います。
そこで近藤氏が立ち上げたサービスが「マタニティタクシー」。
そのサービスの反響は大きく、会員登録者数もみるみる増加していったのだとか。
それに合わせて、ドライバーの接客に対する質の向上を目指し、社員教育にも力を注ぎ、ホスピタリティーをアップ。
そのような様々な取組を打ち出し、瀕死の状態だった吉野川タクシーの業績をV字回復させることに成功。
そして、ウェブサイトを経由して提供した「マタニティタクシー」の成功により、ITをキーワードとしたタクシー業界全体のサービスの底上げが可能なんじゃないかという着想を得ます。
そこから「電脳交通」を立ち上げ、これまで利用者が各タクシー会社に連絡して手配していた工程を、コールセンター部門として一元化し、それぞれのタクシー会社が独自に行っていた配車業務をアウトソーシング化する取り組みとして提供。
その名も「クラウド型タクシー配車システム」「クラウド型タクシーコールセンター」。
この取り組みが高い評価を受け、創業から3年で10府県32のタクシー会社に導入してもらうという実績を上げました。
そして、2018年には、全国約60000台のタクシーを呼ぶことができるタクシー配車アプリを提供する「JapanTaxi株式会社」、通信会社大手の「株式会社NTTドコモ」、「株式会社ブロードバンドタワー」と資本業務提携を結んだことを発表。
これにより、地方に拠点を置くベンチャー企業による挑戦が「地方交通の未来」を担う役割にまで成長。
さらに、2019年には、東京支社を開設。
その後も数多くの企業との資本業務提携を進めながら、2023年1月には配車システム導入エリアを45都道府県にまで拡大。
廃業寸前の地方の零細タクシー会社から始まった取り組みが、全国的なタクシー業界のDXシステムとして全国のタクシー業者をつなぎ、これからさらに加速するであろう少子高齢化社会を支える交通インフラに欠かせないツールとなることが期待されています。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、徳島県を拠点に事業展開しているITベンチャー企業「電脳交通」の代表取締役CEOを務める近藤洋祐氏について、紹介させていただきました。
- イチロー選手にあこがれ、高校から野球を始めた近藤氏。
- 野球のエリート街道から外れていると知りながら、メジャーリーガーを夢見て、18歳の時に単身渡米。
- 持ち前の行動力と、自身のやりたいことを貫き通す精神力で、一時は1軍で活躍するも、1軍に定着することができず、メジャーリーガーへの挑戦は失敗。
- その後、地元徳島県に帰郷し、家業のタクシー会社の再建に注力。
- 野球に挑戦する中で培った「創意工夫する癖」と、アメリカ時代に身につけた「結果を出すことにこだわる文化」、「生存本能」を武器に、瀕死だった家業のV字回復に成功。
- 家業での経験をもとに、「電脳交通」を立ち上げ、小学3年生からインターネットに慣れ親しんでいた近藤氏ならではのアイディアで、タクシー業界のDX化に貢献。
今後、さらなるサービスの提供が期待されています。
地方から全国区へ展開している近藤氏率いる「電脳交通」。
地方の活性化が叫ばれる中、一筋の光が見えてきたような気がします。
今後、益々のご発展を祈念しております。
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