こんにちは、ayurinnです。
2024年2月16日放送の『ガイアの夜明け』に、以前の放送で取り上げられた岩城慶太郎氏が再登場します。
現在、石川県珠洲市に自宅がある岩城氏は、能登半島地震が発生した際、いち早く行動に移し、被災者支援に尽力したのだとか。
そもそも岩城氏とは、どのような人物なのでしょうか?
少しでも気になった方は、最後までお付き合いください。
岩城慶太郎wiki風プロフィール
- 東京生まれ東京育ち。
- 1977年生まれの46歳。(2023年11月30日現在)
- 慶應義塾大学総合政策学部を卒業。
- 「アクセンチュア株式会社」戦略事業部を経て、2005年4月「イワキ株式会社(現:アステナホールディングス株式会社)」に入社。
- 上場子会社の社長などを経て、2017年、アステナホールディングス株式会社代表取締役CEOに就任。
「アステナホールディングス株式会社」は、大正3年薬問屋「岩城市太郎商店」として創業された医薬品会社です。
現在は医薬事業に加え、化学品事業、ファインケミカル事業などを展開。
岩城氏は、東証プライム上場企業である当社の4代目。
父の岩城修会長から、バトンを受け継ぎました。
そういえば、創業当時の名称は「岩城市太郎商店」でした。
どうやら、創業家で代々受け継がれている会社のようですね。
そんな老舗企業の4代目を務める岩城氏は、技術・産業・社会のサステナビリティーを高めるため、社会課題解決型の企業グループへの変革を推し進めています。
そんな忙しい日々をリフレッシュしてくれるのは、趣味の、クラシック音楽と海釣り。
旅行も好きで、アステナホールディングス株式会社の本社機能を一部石川県珠洲市に移転することを決めたのも、旅行で珠洲市を訪れたのがきっかけなんだとか。
次の項目では、東証プライム上場企業でありながら、能登半島の最北端にある過疎化の進む珠洲市への移転・移住を決めた理由に迫ります。
なぜ、東京から移住したの?
コロナの影響で、リモートワークが積極的に取り入れられるなど、私たちを取り巻く就業環境も大きく変わりました。
そんな中、地方への移転や移住を決める企業や個人の方が、増えてきています。
岩城氏が代表取締役社長を務めるアステナホールディングス株式会社もその一つです。
2021年6月1日に本社機能の一部を石川県珠洲市に移転し、6月中旬には、自身も移住
「この場所で、一生を終えたい」と、思うほど珠洲市の魅力に惹きつけられたそうです。
東京日本橋に本社を構える企業が、本社機能の一部とはいえ、過疎化が進む地方都市に移転を決めたきっかけは何だったのでしょうか?
石川県珠洲市と言えば、「消滅可能性都市」と呼ばれるほど、高齢化と過疎化が進む地域です。
今回の能登半島地震でも、甚大な被害を受け、震災発生から1か月半が経過する今も、なかなか復興への道筋が見えない状況ですよね。
移転を考えた当初、社員に石川県珠洲市に移転を考えていると話しても、ピンとくる社員は少なかったと言います。
2020年の秋に、珠洲市に移転の申し入れをした時も、ちょっと怪しまれてしまったのだとか。
しかし、岩城氏は、そんな珠洲市の無限の可能性に気が付いていました。
「珠洲は日本でも一番ひどい過疎の場所の一つですけれども、おそらく見方を変えると30年進んだ場所。その30年進んだ場所でビジネスを起こすことができたら、そこで起こったビジネスは30年後には日本のデファクトスタンダード(事実上の標準)になっているだろうと思います。」
引用元:NHK金沢放送局「移住社長の“恩返し”音楽祭上場企業社長が本気で移住・本社移転までしたワケ」
地元の農家の方との何気ない会話から、事業展開のヒントを得て、耕作放棄地や休耕田を有効利用。
日本では珍しい外国産のハーブの生産を開始。
お茶として販売し軌道に乗り始めているとのこと。
さらに、地元の造り酒屋や農家と協力し、珠洲市産のコメを使った酒造りを開始して、販売につなげています。
人口が少ないため、利害関係者が少ないので、すぐに事業に着手できるところが都会にはない田舎の良さだと言います。
岩城氏からすると、過疎地域はビジネスの種が眠る「宝の山」なんだそうです。
そんな過疎地域に存在する社会問題を解決するため、社会問題解決型ビジネスを立ち上げ、地元の企業と協力し、地域創生にも取り組んでいます。
さらに、SDGsに取り組むベンチャー企業のために投資ファンドを設立し、地域密着のベンチャー企業を支援する取り組みも行っているとのこと。
持ち前の行動力と、経営者としての手腕を元に、幅広い分野への事業を展開しています。
私たちも発想を転換することによって、様々なビジネスチャンスを手にすることができるかもしれませんね。
普通の人が、岩城氏のように大きな事業を展開することは難しいかもしれませんが、自分の可能性を信じ、挑戦してみる気持ちはいつまでも持っていたいと思いました。
能登半島地震発生!岩城氏が起こした行動とは?
移転してから2年半ほどが経過した2024年1月1日、日本中を驚かせた能登半島地震が発生。
私自身も東日本大震災で被災した経験があるので、自分事として、被災地を心配しました。
岩城氏は、発災当時、東京にいたと言います。
その直後から、東京にとどまり、自分にできることは何かを考え、被災地支援を開始。
震災直後は、自身のフェイスブック上に携帯電話の番号を公開。
孤立集落の情報収集などに奔走したとのこと。
「家族と連絡がつかないから確認してほしい」「孤立しているから助けてほしい」
といった情報が500件以上寄せられ、県にも伝えたそうです。
また、現在では、「二次避難先」の情報をネット上で公開。
知人の協力を得て、無料や安値で被災者を受け入れてくれる金沢市内などの宿泊施設の情報を集約して、掲載しているとのこと。
個人でできることは何かを考え、すぐに行動に移せる行動力は尊敬に値します。
何かしたいと思っても、何ができるのか思いつかないですし、すぐに行動に移すことも難しいですよね。
今回の震災では、SNSなども有効活用され、様々な情報が瞬時に拡散されていきました。
日本全国から、被災地を応援する声が届けられ、日本が一丸となって被災地を支援していくという土壌が作られているんだなと感じました。
まだまだ、復興には程遠い状況ですが、できるところから進めていけば、必ず道は開けます。
私自身も、できることがあれば協力したいと考えています。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、東京から石川県への移転・移住をした岩城慶太郎氏をご紹介しました。
大正時代から続く医薬品会社の4代目社長をつとめ、社会問題解決ビジネスなどの新規事業にも積極的に着手する敏腕経営者です。
珠洲市の魅力に惹きつけられ、一生をそこで過ごしたいとの思いを胸に、移住を決意。
地域に根付く特色を生かした事業展開に、今後も期待大です。
益々のご発展を祈念しております。
※同じく、石川県に移住し、加賀市職員として被災地支援に尽力している山内智史さんについては、コチラをチェック!
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