こんにちは、ayurinnです。
2024年4月27日に放送される『ANOTHER SKY(アナザースカイ)』に、カンニング竹山さんが出演。
今回は、芸人のスタート地点となる故郷福岡市を巡る旅。
芸人として成功する中で、苦い思い出の残る地でもあるという福岡市は、カンニング竹山さんにとって切っても切り離せない場所なのだとか。
そして、そんな福岡にカンニング竹山さんの相方である中島秀幸さんが眠るお墓が・・・。
中島さんが亡くなってから、すでに17年以上の時が経過したそうですが、カンニング竹山さんはお墓参りを欠かさないと言います。
カンニング竹山さんにとって特別な存在でもある中島さん。
- なぜ、亡くなってしまったのでしょうか(死因は)?
- 中島さんとは、どんな方だったのでしょうか(プロフィールは)?
- カンニング竹山さんにとって、中島さんとはどのような存在なのでしょうか?
など、色々と気になってしまったので、皆さんにもご紹介したいと思います。
少しでも気になった方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
中島忠幸(カンニング竹山・相方)さんは、なぜ亡くなった(死因は)?
カンニング竹山さんの相方である中島忠幸さんの死因は、
急性リンパ性白血病
という病気です。
2004年12月から、「白血病」の完治を目指し、緊急入院。
闘病のために休業している相方の為、カンニング竹山さんは慣れないピン芸人として奮闘。
なんとか、完治してコンビとして再び舞台に立ちたいと、竹山さん自身も骨髄移植ができるように骨髄バンクにも登録したと言います。
そんな熱い想いに支えられた中島さんは、同時期に同じ病気と闘っていた本田美奈子さんと交流しながら、お互いを励ましあっていたのだとか。
一方で、中島さんは、趣味の競馬で次々と万馬券を当て、「この白血病の治療費、全部JRAに払わせてやらあ。」と豪語していたというのだから驚きです。
つらい闘病生活の中でも、希望を失わず、周りにも心配をかけまいと明るく振舞う中島さんの姿が目に浮かぶようですね。
さらに、2006年1月には、臍帯血移植を受け、快方に向かっていると思われました。
この臍帯血移植により、血液型がO型→A型→B型と変化したそうです。
その後、ドナーが見つかったとの報告が・・・。
しかし、移植予定のドナーが風邪をひいてしまったことで移植手術が中止に・・・。
さらに、中島さん自身も風邪をひいてしまい、ウィルス性の肺炎を併発。
2006年12月20日に、亡くなりました。
35歳という若さでした。
今では、医学も発達し「白血病」で亡くなる方の数も減少しているそうです。
竹山さんも、「今は、かなりの確率で治りますけど・・・。」と、悔やむ姿が印象に残っています。
カンニング竹山相方・中島忠幸さんってどんな人?wiki風プロフィール
竹山さんとは、小中学校の同級生だという中島さん。
近所の池で釣りをするなど、仲の良い友達だったようです。
その後、高校に進学した中島さんですが、問題行動により1年生の時に退学。
退学する時は、家族に内緒で退学届けを提出してしまったのだそう。
少し破天荒で、行動力を持った方だったようですね。
その後、板前を目指し、福岡の日本料亭で板前修業を開始。
しかし、同僚からのいじめに遭うと同時に、修行のつらさに嫌気がさしたこともあり退職。
上京し、アルバイトをしながら生活していた時に、同時期に上京していた竹山さんと、偶然定食屋で再会したのが、「カンニング」結成のきっかけとなったのだとか。
その後は、芸能事務所に所属し、芸人としてテレビに出ることも・・・。
しかし、なかなか認知度は上がっていかなかった様子。
私自身も、コンビで活動している「カンニング」の姿は、おぼろげな印象しかありません。
先輩からの提案で、キレ芸が定着し、徐々に人気も出てきたころに病気が発覚。
中島さんが亡くなって1年後に放送された追悼番組『翔太へ~最期のメッセージ カンニング中島全記録』では、700日にも及ぶ闘病生活中の家族や相方の竹山さんに対する想いがつづられた日記を公開。
闘病生活を支えてくれた家族や竹山さんへの感謝の気持ちが綴られていました。
書籍として『家族のたからもの~夫・カンニング中島が遺した最期の日記~』も出版されています。
カンニング竹山さんにとって、相方の中島忠幸さんはどんな存在?
相方である中島さんが亡くなってからすでに17年以上が経過した今でも、「カンニング竹山」として活動している竹山さん。
竹山さんにとって、相方の中島さんとは、どのような存在だったのでしょうか?
実は、竹山さん、東京で「カンニング」を結成する前に、地元福岡で「ター坊ケン坊」というコンビを組んでいたのだとか。
しかし、福岡での活動に疑問を感じていた竹山さんは、相方を残し東京へ逃亡。
そんな時に、中島さんと偶然再会し、「カンニング」を結成。
コンビとしては、竹山さんがネタを担当し、中島さんは営業面を担当。
中島さんは、アイドルの親衛隊をやっていたこともあり、プロダクションなどに知り合いが多かったと言います。
お互いに、得意なところを担当することで、不足を補いあい、徐々に人気を集めていった「カンニング」。
そんな二人にとっては、お互いになくてはならない存在だったのかもしれません。
カンニング竹山さんといえば、様々な不祥事も思い浮かびますが、そんな竹山さんに愛想をつかすこともなく、支えてくれた中島さんは、家族以上の関係になっていたのではないでしょうか?
どちらかというと、竹山さんがキレるイメージが強いですが、中島さんも負けず劣らず短気だったのだとか。
とある番組で、キレ担当の竹山さん以上にキレた中島さんが、竹山さんに土下座させるなんていう場面も・・・。
キレ芸の竹山さんを穏やかにツッコむ中島さんというスタイルが定着していたため、信じがたいエピソードでした。
そして、病気が発覚し、ピンで活動していた竹山さんは、「中島が復帰するまではネタは封印する」と言って、漫才のネタは行いませんでした。
さらに、ピンで活動する時は常に「カンニング竹山」を名乗る徹底ぶり。
それだけ、「カンニング」にとっても、中島さんはなくてはならない存在だったのでしょう。
芸人での成功を夢見ながら、故郷の福岡を捨てて上京した竹山さん。
彼にとって、思うように結果が出ない苦しい日々を共に過ごし、きつい闘病生活を支えてきた中島さんは、言葉では言い表せないくらいの深い絆で結ばれているのでしょうね。
現在でも、「カンニング竹山」として活動を続ける竹山さんの姿が、それを物語っているのではないかと思います。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、『ANOTHER SKY(アナザースカイ)』で、故郷を福岡を旅するカンニング竹山さんの相方である中島秀幸さんについて、ご紹介しました。
- 35歳という若さで、「急性リンパ性白血病」で亡くなった中島さん。
- 生前の中島さんは、破天荒な部分もありながら、「カンニング」結成後は、竹山さんと共に、二人三脚で、芸人の道を歩んできました。
- 竹山さんにとっても、かけがえのない存在であり、深い絆で結ばれた相方だったのでしょう。
今でも、竹山さんの中では、中島さんと過ごした日々が鮮明に残っているのでしょうね。
これからも、「カンニング竹山」として、幅広い活躍を見せてくれることを期待しています。
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