こんにちは、ayurinnです。
2025年5月5日放送の『世界まる見え!テレビ特捜部』は、「お騒がせな問題児大集合SP」と題し、世界の驚くべき問題児たちを紹介。
中でも、気になったのが、プロサッカー選手として活躍しながら、夜は泥棒稼業に明け暮れたというパル・エンガーという人物。
あらゆる犯罪に加担し、世界的にも有名な画家・ムンクの「叫び」を盗み出すことにも成功したという超問題児の彼。
なぜ、盗みを繰り返したのでしょうか?
そんなパル・エンガーは、2024年6月、57歳という若さで亡くなったと発表されました。
生まれ育ったオスロで亡くなったのだそう。
彼の死因は何だったのでしょうか?
今回は、プロサッカー選手として評価されながら、盗みを繰り返したパル・エンガーについて、ご紹介したいと思います。
少しでも興味がある方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
元サッカー選手パル・エンガーは、なぜ、盗みを繰り返したのか?
1985年、彼が18歳の時に、イングランドのプレミアリーグのノルウェー版とも言われているエリテセリエンでプロのサッカー選手としてデビュー。
デビューから3年後の1988年には、ピッチ上で存在感を示し、「小柄ながら、機敏でタフ。そして、いつも礼儀正しく謙虚だ。」と高い評価を得ていました。
そんなパル・エンガー選手が、「なぜ、盗みを繰り返したのか?」気になりますよね。
その原因は、彼が生まれ育った環境にあったのかもしれません。
エンガーが生まれたのは、ノルウェーでも屈指の犯罪地帯と言われているオスロのトヴェイタ地区。
この地区は、強盗から犯罪まで行う犯罪組織・ヴェイタ・ゲンゲンの本拠地としても知られている地区なんだそう。
そんな地区で育ったエンガーが子供のころから強い興味を示していたのが、『ゴッド・ファーザー』とムンクの「叫び」。
『ゴッドファーザー』に関しては、不正に手に入れたお金でアメリカに行き、撮影現場を見に行ったほど夢中になっていたのだとか。
自分の夢中になっていることのために、不正にお金を得るあたり、犯罪に対する意識が甘いのかもしれませんよね。
そして、少年時代に近くの商店でお菓子を万引きしたことをきっかけに、宝石店の襲撃、深夜の金庫破り、ATMの爆破など、次第に犯罪はエスカレート。
サッカーを始めてからも、チームメイトから、盗んだBMWやポルシェを乗り回していると言われるほど、堂々と盗みを繰り返していた様子。
そんなエンガーの心をつかんで離さなかったのが、ムンクの「叫び」。
絵の中の叫ぶ人物に、自分自身を重ね、ムンクの「叫び」を盗むことは、エンガーの犯罪人生の最大の目標になったのだそう。
常に、犯罪が身近にある環境で育ったパル・エンガーにとって、他人の物を手に入れるための盗みは、自身が欲しいもののためには必要なことという認識だったのかもしれません。
さらに、盗みに対する複雑な感情も明かしていたエンガー。
実は、ムンクの「叫び」を盗み出す前に、「オスロ国立美術館」から、ムンクの「吸血鬼」を盗み出していました。
ムンクの「叫び」を盗み出すために忍び込んだものの、事前の下調べが甘かったため、そこに「叫び」がないことを知らなかったのだと言います。
このことにひどく落ち込んだエンガーでしたが、次第に、楽しくなってきたと語っていました。
盗品の捜索を続ける警察を欺き、盗品を隠すことに快感を覚えたエンガー。
しかし、ひょんなことからエンガーが盗みを働いたことが発覚し、逮捕。
これにより、プロサッカー選手としてのキャリアが失われました。
4年の実刑判決を受け、服役していた彼ですが、出所後も「叫び」への情熱は消えることはなく・・・。
1994年、リレハンメルオリンピックが開催され、警備が手薄になる時期を狙って、再度、ムンクの「叫び」を盗み出す計画をたて、見事に成功。
エンガーが捜査線上に浮上してきたものの、決定的な証拠がなく捜査が難航する中、警察を煽るかのように「叫び」の隠し場所を匿名で通報するなど、その状況を楽しんでいた彼。
しかし、その後、「叫び」を売却しようとしたときに、おとり捜査官の術中にはまり、二度目の逮捕。
サッカー選手として成功をつかみかけながら、盗みをつづけた彼の半生は、2023年に映画化されるなど、ノルウェーの犯罪史に刻まれています。
そんな人生を振り返り、エンガーが自身の人生について語った言葉が印象的でした。
「歴史を作ったし、映画に描かれるようなクールな話だ。でも、これは映画じゃなく現実だったんだ。」
サッカーと盗みの二刀流パル・エンガーが2024年6月に死去!死因は?
ノルウェーの犯罪史に残るような、盗みを起こしたエンガー。
2024年6月、57歳という若さで亡くなっています。
死因は、何だったのでしょうか?
気になって調べてみたのですが、死因については、公表されていませんでした。
地元の新聞でも、死因は明かされておらず、生まれ育ったオスロで命を引き取ったと報道。
ムンクの「叫び」を盗み、逮捕された後も、盗みを繰り返したというエンガー。
彼の弁護を引き受けていた弁護士からは、「紳士」と呼ばれ、地元の新聞では「愛すべき泥棒だった」と評されています。
彼は、生涯独身を貫いていたようですが、4人の子供がいるとのこと。
そんなパル・エンガーのことを、彼が所属していたサッカーチームの広報担当者は、
「一流のサッカー選手ではなかったが、一流の犯罪者の道を究めることを選んだ人物」
と、語っていました。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、プロサッカー選手として将来を期待されながら、盗みを繰り返したパル・エンガーという人物について、紹介しました。
- 彼が、なぜ、盗みを繰り返したのか考察。
- あわせて、パル・エンガーが起こした盗みについてもまとめてみました。
- さらに、2024年6月に、57歳という若さで亡くなったという彼。
- 死因についても調べてみましたが、公表されていませんでした。
- 人生を犯罪にささげたと言っても過言ではないエンガーですが、凶悪な犯罪者というよりは、愛すべき泥棒として、ノルウェーの犯罪史に刻まれた人物だったようです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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