こんにちは、ayurinnです。
連日、パリ五輪での日本代表選手の活躍に日本中が盛り上がっています。
これまで、なんとなく淀んでいた空気が明るいニュースで払しょくされていくようで、気持ちいいですね。
そんな中、総合馬術団体競技で、92年ぶりに銅メダルを獲得したという素晴らしいニュースが飛び込んできました。
馬のつぶらな瞳に魅了され、馬好きとなった私にとっても大変うれしいニュースです。
しかし、素晴らしい快挙を伝えるニュースの中で、耳に残った言葉がありました。
パリ五輪で馬術総合団体『初老ジャパン』がメダル獲得の快挙!!
「えっ!?『初老ジャパン』?」
「そんなに高齢なの?」
と思って調べてみると、平均年齢はなんと41.5歳。
「私より年下・・・。」
呆然としてしまいました。
「まあ、10代前半の若い選手たちも活躍するオリンピックでは、40歳超えれば初老かもしれないけど・・・。」
驚きと共に、ショックが隠しきれず・・・。
- 一体、誰が『初老ジャパン』名付け(命名)したの?
- なぜ、『初老ジャパン』?
と、気になったので皆さんにもご紹介します。
少しでも気になった方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
馬術総合日本代表、なぜ『初老ジャパン』?誰が名付け(命名)したの?
オリンピック出場5回目を数えるベテランの選手がいるなど、他の競技に比べれば年齢が高い馬術総合日本代表チーム。
「それでも、『初老ジャパン』はひどくない?」と、思ってしまったのですが、その命名の経緯を調べてみると意外な事実が・・・。
実は、『初老ジャパン』と命名したのは、総合馬術日本代表チーム
パリ五輪の会場に入る前に、イギリスで合宿を行っていた時のこと。
たわいもない会話をしていた時に、チームの監督から、「日本代表チームって、○○ジャパンってついてるけど、馬術はどうする?」という言葉が・・・。
毎回、年齢層が高いことが話題になる馬術チーム。
競技の特性上、経験を積めば積むほど人馬のコミュニケーションが取れるようになり、ベテランの域に達するまでに時間のかかる競技だから、当然と言えば当然のこと。
現に、今回の馬術競技日本代表チームは杉谷選手と大岩選手が48歳でパリ五輪日本代表チームの年齢が高いワンツーを占めています。
特に総合馬術のメンバーは、大岩選手が48歳、北島選手が38歳、戸本選手が41歳、田中選手が39歳。
さらに、監督が47歳、コーチが46歳、サポートスタッフが54歳と選手もスタッフも同年代でオリンピック日本代表チームでも高齢チーム。
そのため、『○○ジャパン』の話になった時に、誰かが『初老ジャパン』と口にしたのだとか。
他にも『昭和ジャパン』や『ペガサスジャパン』など候補は出たようですが、自分たちのイメージじゃないと『ペガサスジャパン』はすぐに却下されてしまったのだそう。
『ペガサスジャパン』だったら大分イメージが違っていましたね。
そして、なんとなく『初老ジャパン』がしっくりくると、落ち着いたのだと言います。
自虐も含まれているのでしょうか?
こうやって、『初老ジャパン』の命名の経緯や理由を知ると、なんだか『初老ジャパン』という呼び名がしっくりくるように感じてしまいました。
皆さんはどう感じますか?
他の『○○ジャパン』に比べると、インパクトが強いですよね。
何だか、愛着も湧いてきたので不思議です。
日本中の『初老ジャパン』も頑張ってますよ。
総合馬術日本代表(初老ジャパン)選手wiki風プロフィール!
大岩義明
馬術を始めたのは10歳の時。
明治大学では馬術部に所属し、主将も務めていたのだそう。
大学王者にも輝き、馬術の世界に生きるのかと思いきや、現実に目を向けた大岩選手は、ビルメンテナンス会社に就職し、ゴキブリの駆除作業に明け暮れる日々を送っていたのだとか。
しかし、シドニー五輪での馬術競技を目にした大岩選手は、やっぱり自分にはこの道しかないと復帰。
すぐさま単身で渡英。
そこから20年以上馬と向き合う毎日を送っているのだそう。
そして、現在は、イギリスを拠点に活動中。
今回の快挙に、自身のX(旧Twitter)で喜びを表していました。
北島隆三
小学5年生の頃から、クレイン加古川という乗馬クラブで乗馬を始めた北島選手。
しかし、馬術競技に目覚めたのは、中学生になってから。
そして、馬術競技の強豪校明治大学に進学。
明治大学では馬術部の主将を務め、全日本学生大会14連覇に貢献。
明治大学卒業後は、クレインに入社。
2014年に仁川アジア大会で団体銀メダルを獲得したことをきっかけに、自身の技を磨くため渡英。
北島選手にとって、イギリスでの活動は「小さい頃からの夢」。
現在もイギリスを中心に活動中。
やはり、馬術の本場であるイギリス。
渡英直後は環境の違いに慣れるまで大変だったようですが、海外のトップ選手にもまれながら技を磨く日々が続いているようです。
戸本一真
8歳の時に初めて乗馬を体験し、高校生の時に乗馬クラブで本格的に馬術競技を始めたという戸本選手。
馬術競技の強豪校明治大学に進学し、1年生の時からレギュラーに選ばれ、全日本タイトルを獲得。
その後は、日本中央競馬会に就職し、JRA職員として勤務。
競馬ファンの方は知っている方も多いのかもしれませんが、2019年、スワーブリチャードが勝ったジャパンカップやリスグラシューが勝った有馬記念で本場場入場の際の誘導場に騎乗していたのが戸本選手でした。
しかし、JRA職員といえども一会社員。
常に馬と触れ合える環境ではなく、競技に出れない時期も続いたと言います。
そんな戸本選手の転機ともいえるのが、2017年。
イギリスのWilliam Fox-Pit(ウィリアム・フォックス=ピット)氏とトレーナー契約を結ぶことに。
ウィリアム氏と言えば世界的にも有名なトップライダーの一人。
そんなトップ選手から、多くのものを学び、一回りも二回りも成長した戸本選手。
世界選手権でいい結果を残しても経験の一つでしかないというウィリアム氏の指導の下、目指すは東京五輪。
そこには「根拠のない自信を身につけさせてあげたい」というウィリアム氏の思いが・・・。
というのも、戸本選手はあまりにも謙虚だったから。
高い乗馬技術を身につけていても、そこに慢心することはない。
その姿勢が、ウィリアム氏にとっては、謙虚すぎると映った様子。
人と比較して優れているとか、人から褒められたからすごいということではなく、「素直に自分が好き、自分を人として凄い・素敵だと思える」そんな「根拠のない自信」が必要だと見抜いていたのだそう。
この言葉は、私の胸にも響きました。
とっても大切で素敵な考え方だと思います。
そうやって積み上げきたものが、パリ五輪での92年ぶりの銅メダル獲得という快挙に繋がっているのでしょう。
田中利幸
中学3年生から地元の馬術クラブで乗馬を始めたという田中選手。
大学卒業後、クレインに入社し、社会人になってから障害から総合馬術に転向。
2011年の国体では、総合馬術で優勝し、全日本馬術でも2位という記録を残しています。
これまで、ロンドン五輪と東京五輪に出場し、パリ五輪が自身3回目のオリンピック。
今大会は、リザーブとしての登録でしたが、直前の馬体チェックで北島選手の馬のコンディションが悪いと通過できず。
20点の減点が課され、リザーブの田中選手が急遽、出場することに・・・。
そんなプレッシャーがかかる大舞台で、見事に自身のベストを出し切った田中選手。
1番手で失敗が許されないという極限の状況の中で、見事にノーミスで快走。
人馬一体となった素晴らしいパフォーマンスに、気が付けば呼吸するのも忘れて魅了されていました。
実際には「鳥肌が立ってとまらなかった」というほどに緊張していたそうですが、北島選手から「楽しんできて」と背中を押され、パートナーのジェファーソン号にも助けられながら完走。
まさに人馬一体となった快挙だったようですね。
まとめ
いかがでしたか?
パリ五輪で92年ぶりに銅メダルを獲得した総合馬術『初老ジャパン』日本代表チーム。
「『初老ジャパン』って、誰が名付け(命名)したの?」「なぜ、『初老ジャパン』?理由は?」ということが気になり、皆さんにご紹介しました。
- 『初老ジャパン』と名付け(命名)したのは、総合馬術日本代表チーム。
- パリ五輪日本選手団の中で、年齢が高いワンツーを占めていたことが理由で、選手・スタッフ共に同年代だったこともあり、誰かの一声で『初老ジャパン』に決定。
- 候補の中には『ペガサスジャパン』というかっこいい呼び名もあったのに、即刻却下。
- なんだかんだで『初老ジャパン』に落ち着いたのだそう。
- そんな『初老ジャパン』の日本代表選手は大岩義明選手、北島隆三選手、戸本一真選手、田中利幸選手の4人。
それぞれが馬術の本場イギリスをメインに活動し、人馬一体を目指し、経験積んできた結果がパリ五輪で発揮されました。
年齢を重ねても続けられ、経験がものをいう競技であるからこそ、馬術競技においてはまだまだ若手と言えるのかもしれませんね。
これからの活躍を期待しています。
コメント