こんにちは、ayurinnです。
2024年4月2日に放送される『マツコの知らない世界』に、山岡成俊さんが出演。
「春の離島の世界」と題して、全国400か所以上の離島を巡った山岡さんおすすめの絶景離島を紹介してくれるとのこと。
日本は島国だけど、「そんなに多くの離島があったの?」と驚くとともに、
- 山岡成俊さんてどんな人(プロフィールは)?
- 学歴や経歴も気になる!
- なぜ、離島にはまったの?
など、いろいろ気になることが多かったので、皆さんにもご紹介します。
少しでも気になる方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
山岡成俊wiki風プロフィール
山岡さんが生まれた能美島は、広島港から南西に10キロ、広島湾に浮かぶY字型の島。
もともとは、東部の江田島と能美島は、飛渡瀬と呼ばれる狭い海峡で隔てられた別々の島でしたが、現在は地続きで一体になっているとのこと。
離島で生まれ育った山岡さんは、幼い頃から島や海との関りは深かったと言います。
そんな彼が、離島の魅力に惹きつけられたのは当然と言えるかもしれませんね。
現在は、「システムエンジニア」と「島の写真家」という2つの顔を持つ山岡さんですが、ここに至るまでには、どのような体験があったのでしょうか?
学歴や経歴から、探っていきたいと思います。
山岡成俊さんの学歴は?
- 出身高校:広島県立呉宮原高等学校
- 出身大学:東京工科大学
出身高校の広島県立呉宮原高等学校は、普通科のみの進学校。
偏差値56。広島県内でも比較的上位に位置し、1924年に開校した「呉市立中学校(旧制中学)」を前身としており、2024年で創立100周年を迎える伝統ある高校です。
どのような高校生活を送っていたのかは公表されていませんでした。
ですが、呉宮原高校は、呉港を見下ろせる高台にあり素晴らしい景色が望める場所のようなので、慣れ親しんだ海や島を眺めながら充実した高校生活を送っていたのではないでしょうか。
高校を卒業後、東京にある東京工科大学に進学。
詳しい学科などは公表されていませんでしたが、大学卒業後、IT関連の会社に就職しシステムエンジニアとして活躍されています。
なので、コンピューターサイエンスやメディア関係について、学びを深めたのではないかと思われます。
山岡成俊さんの経歴は?
- 1990年、メーカー系のIT会社にシステムエンジニアとして入社。
- 主に、インフラ系のシステムエンジニアとして勤務。
- その後、情報通信系のIT会社に転職。
- 現在は、プロジェクトマネージャーとしてナレッジ管理やコールセンターの音声IVR構築などに従事。
- システムエンジニアを続けながら、1993年、沖縄県座間味島を訪れたことをきっかけに、離島の写真撮影を開始。
- 「第46回ニッコール大賞」を受賞したほか、多数の賞を受賞
- 雑誌や広告、写真展など幅広い分野で、島の写真家としても活躍中。
システムエンジニアの仕事を行う傍ら、離島に魅せられた山岡さんは、日本にある446の有人島すべてに上陸。
さらに、200以上の無人島にも上陸しています。
システムエンジニアと言えば、激務のイメージ。
一体どのようにして、離島を巡ったり、島の写真を撮ったりする時間を確保しているのでしょうか?
そこは、さすがシステムエンジニア。
徹底したスケジュール管理、コスト管理で離島をめぐる時間と費用を捻出していました。
さすがに、北海道や沖縄の離島を訪れる時には有給休暇を取得されるようですが、それ以外であれば、週末の休日を利用して離島を訪れているとのこと。
「時間がないってみなさんよく言いますが、不要な時間を切り詰めれば、時間は十分捻出できるんです。
島に行くために、飲み会やゴルフなど、同僚からの誘いも極力遠慮させてもらって、休みを全て旅行に充てました。それに移動手段を上手に組み合わせれば、意外と短時間で離島まで行けるものです」
引用元:エンジニアTYPE.「「現実逃避だった」島めぐりが仕事の潤滑油に。400超の有人島に上陸したエンジニアの偏愛ストーリー【山岡成俊】」
システムエンジニアとして必須の能力である、徹底したスケジュール管理が離島めぐりにも生かされているのですね。
さらに、いい写真を撮影するためには、事前の調査は欠かせないと言います。
現地の天気や潮の満ち引きなど、最高のタイミングでシャッターを切るために、何日も前から逆算をして準備にも余念がありません。
そのおかげで、達成するために逆算するというスキルがアップし、システムエンジニアとしての仕事にもいい効果をもたらしているそうです。
まさに山岡さんにとっては、「システムエンジニア」と「島の写真家」という「二足のわらじ」は、一石二鳥いや一石三鳥以上の効果があると、いえるのかもしれませんね。
そんな多忙な山岡さんですが、なぜ、離島にはまったのでしょうか?
なぜ、離島にはまったの?
大学卒業後、システムエンジニアとして、歩みだした山岡さん。
しかし、システムエンジニアという仕事は想像以上の激務だったようです。
労働時間は月に200時間以上。
入社当時は、「3K(キツイ、汚い、危険」と言われるほど。
そんな過酷な日々の中で、唯一安らげる場所が、生まれた時から慣れ親しんだ「島(離島)」だったと言います。
そう、山岡さんが離島にはまった理由は、
現実逃避
だったのです。
1993年に、旅行で訪れた沖縄県座間味島。
ダイビングで見たサンゴ礁や海の美しさにすっかり魅了され、日々の激務を忘れたと言います。
まさに、別世界。
陸とはまた違った世界が繰り広げられている海に惹きつけられ、すっかり虜になってしまったそうです。
そして、また現実の仕事を頑張ろうという活力も湧いてきたのだとか。
私だったら、そのまま海の楽園での楽しい生活を夢見て、現実世界に戻れなくなりそうですが・・・。
こうして海に魅せられた山岡さんですが、海に訪れたときに立ち寄る島の魅力にも同時に惹きつけられていきました。
生まれたころから島で生活してきた山岡さんにとっては、当然のことだったのかもしれません。
「島の写真家」としても、多数の賞を受賞するなど評価されている山岡さん。
システムエンジニアを辞め、写真家一本で生活していくという道もありそうですが・・・。
そのことについては、ご本人がインタビューで語っていました。
「離島はエンジニア生活の厳しさを忘れさせてくれました。しかし、離島をまわって写真を撮るだけの生活だったら、それもまた厳しかったでしょう。
移動に時間はかかるし、いい写真を撮ろうと思ったら、何時間もかけて段取りを組まなければなりませんから。ときどき、なんでたかが趣味のために、こんなにつらい目にあってるんだろうって、我ながら悲しくなることもありましたし(笑)」
引用元:エンジニアTYPE.「「現実逃避だった」島めぐりが仕事の潤滑油に。400超の有人島に上陸したエンジニアの偏愛ストーリー【山岡成俊】」
山岡さんにとっては、「システムエンジニア」と「島の写真家」という「二足のわらじ」状態が、ちょうどいいバランスのようですね。
お互いにお互いを高めあい、それぞれに真剣に取り組むことで、別々のキャリアが円滑に進んでいっているようです。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、「システムエンジニア」と「島の写真家」という二つの顔を持つ山岡成俊さんをご紹介しました。
- 広島県能美島という離島で生まれ育ち、生まれた時から、海や島に慣れしたんだ山岡さん。
- 大学進学を機に、上京し、システムエンジニアとして、キャリアの第一歩を踏み出しました。
- システムエンジニアとしての激務の日々の中、旅行で訪れた海や離島に魅せられ、「現実逃避」して離島めぐりをすることで、バランスをとっています。
- そして、徹底したスケジュール管理とコスト管理で「システムエンジニア」と「島の写真家」という「二足の草鞋」を履きこなしています。
山岡さんの著書『おきなわの離島 島の散歩』には、安らぎの沖縄の離島が映し出されており、日々の忙しさを忘れて癒される1冊になっています。
気になる方は、ぜひ、チェックしてみてくださいね。
これからの益々のご活躍を、期待しております。
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