こんにちは、ayurinnです。
2024年4月25日に放送される『カンブリア宮殿』に、あの「や台ずし」を手掛けるヨシックスホールディングスの会長を務める吉岡昌成氏が登場。
職人が握るこだわりのお寿司が食べられるお店ながら、客単価3,000円という嬉しい価格で贅沢なお寿司が楽しめると人気。
そんな急成長中の「や台ずし」の仕掛け人である吉岡氏。
次回予告で拝見したお姿は、スーツ姿にハットをかぶった粋な姿。
- いったいどんな人なのでしょうか(プロフィールは)?
- 学歴や経歴も気になる!
- 急成長のお店を仕掛ける吉岡昌成氏の凄さとは?
などなど、気になることがたくさん出てきたので、皆さんにもご紹介したいと思います。
少しでも気になった方は、ぜひ、最後までお付き合いください。
吉岡昌成(や台ずし)wiki風プロフィール
町工場が立ち並ぶ大阪市生野区で生まれ育った吉岡氏。
吉岡氏の実家も町工場を営んでいたと言います。
3人兄弟の末っ子だった吉岡氏は、姉や兄が家業を手伝っていたため、自然と駆り出される形となり、幼少期から仕事を手伝わされていたのだとか。
簡単な作業だったため子供にもできる仕事だったようですが、当時の吉岡さんにとっては嫌で嫌でしょうがなかった作業。
手伝いたくもなく、家業を継ぎたいとも思わなかったため、高校に進学する時には、あえて、違う道を選択。
今では、建設業から飲食業と、幅広い分野で才能を発揮している吉岡氏ですが、どのような学生時代を過ごしていたのでしょうか?
吉岡昌成氏の学歴や経歴は?
学歴
- 出身高校:工業高校機械科
- 出身大学:大阪工業大学建築学科
吉岡氏が進学した高校については、学校名までは公表されていませんでした。
高校生時代は、生徒会長を務めたり、学生運動に参加したりと有意義な高校生活を過ごしていたようです。
しかし、吉岡氏が高校2年生の時に父親が亡くなり、家業の工場を閉めることに・・・。
その後は、アルバイトに明け暮れる生活を送りながら、大学へ進学したそうです。
高校では機械科を学んでいた吉岡氏ですが、大学では建築を専攻。
建築学科を選んだ理由は、列島改造論などで建築にスポットが当たっていた時期で、テレビで見た女性建築家が格好良く見えたから。
ですが、大学に進学してもバイトに明け暮れる生活は変わらず、受験当日以外学校に行った記憶がないのだとか。
それでも、飲食業を手掛ける前には建築関係の会社を立ち上げ、軌道に乗せているので、多忙すぎて記憶にないだけで、学ぶべきところはきちんと学んでいたのでしょうね。
何かを成し遂げることができる人は、やはり、並外れたアイディアと行動力の持ち主だということでしょうか?
そんな学生生活を送りながらも、無事に、1977年に大学を卒業。
その後の経歴も、波瀾万丈だったようです。
経歴
大学卒業後の1977年、姫路のガス会社に就職。
配属されたのは新規事業の建築関係部署。
営業成績もよく、他の部署よりも給料は高かったと言いますが、組んでやっていた先輩があまりの多忙さに体調を壊し、リタイア。
部署に一人残された吉岡氏は、2人分のノルマをこなさなければならない現状に対して「一人で何とかせい」という会社の対応に嫌気がさし、退社。
しばらくは、毛皮の卸などのアルバイトをして稼いでいたと言います。
そんな時に、知り合いから、神戸市の弁当屋が建築関係の人材を探しているという情報が・・・。
迷うことなく神戸に本社を置く弁当屋に飛び込んだのだとか。
実は、この弁当屋、後に大手弁当チェーンにまで成長する有名企業。
これが、吉岡氏と飲食との出会いとなります。
建築の仕事を行うと同時に、自身もフランチャイズ契約を結び、弁当屋をスタート。
ただし、弁当屋はあくまでも副業で、本業は建築。
吉岡氏が手掛けた弁当屋の内装が実績となり、居酒屋やファミレスなどから建築の仕事の発注が入るように・・・。
それと合わせて、弁当屋も20店舗くらいにまで拡大。
これが、1985年ころの出来事。
こうして事業が拡大してくる中で、現「ヨシックスホールディングス」の前身となる「テンガロンキッド」を創業。
そこから、現在につながる吉岡氏の快進撃が始まりました。
吉岡昌成氏の凄さとは?
建築業でも大手の飲食店の外装・内装工事を手掛けるなど成功を収め、飲食業でも店舗を拡大するなど急成長を遂げている吉岡氏。
そんな吉岡氏の凄さとは、どんなところなのでしょうか?
いくつもの業態をまたにかける多角経営
飲食業は弁当屋で軌道に乗ったように思われましたが、コンビニが弁当を扱うようになったことで、事業に陰りが見え始めたのだとか。
そんな状況でも、本業の建築業が安定していた吉岡氏にとっては、大きな不安材料ではなかったようです。
これが多角経営の強みではないでしょうか?
建築関係の仕事を得るために始めた弁当屋が本業の建築業を助け、弁当屋が傾きかけた時には、建築業が支える。
こんな未来を思い描き、事業を拡大してきた吉岡氏の凄さがここに表れているのではないでしょうか。
ピンチをチャンスに変える判断力と行動力
弁当屋の事業が傾きかけた時にも、建築業での収益を元手に、流行の内装でおしゃれな料理を出す店に路線を変更。
普通ならそこで飲食業界から撤退するという判断をしてもおかしくないと思いますが、吉岡氏は違いました。
最後のチャンスとして「自分が行きたくなるような店」を手掛けようと、「や台や」をオープン。
弁当屋時代とは違う人材が入ってくることで、会社に新しい風が吹きこみました。
そして、現在大人気の「や台ずし」が生まれるきっかけとなるすし職人が入社。
その状況を見た吉岡氏は「88円で本マグロのすしが出せるようにせえ」と、すし職人に指示。
そうして生まれたのが「や台ずし」です。
8坪18席のお店で、月商900万円をたたき出したというのですから、驚きですよね。
これまでの挑戦からも分かるように、吉岡氏はいくつものピンチをその行動力でチャンスに変えています。
コンビニという全国区の強敵が現れるもそこで撤退するという道を選ばず、業態を変更して時流を掴む。
その判断力と行動力が、吉岡氏の凄さの一つだと思いました。
人重視の経営
店舗を拡大していく中で、重視したことは働いてくれる従業員のこと。
そして、従業員が安心して働くためには、管理部門の強化が必須と考えたそうです。
しかし、吉岡氏は営業畑の人で、管理の部分はよく分からなかったとのこと。
そこで選択した道が、上場すること。
上場すればいやでもガバナンスを強化しなければならず、管理部門にお金をかける必然性が生まれると考えたのだとか。
それにより、「株主や従業員、そして何よりお客様が笑顔になってくれることが一番」と、語っていました。
人を中心に考えた事業展開だからこそ、人が集まり、楽しい一時が過ごせるような仕掛けがちりばめられているのでしょうね。
私の地元には、まだ出店していないため、出店を心待ちにしております。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、『カンブリア宮殿』に出演する「ヨシックスホールディングス」の会長であり「や台ずし」の仕掛け人でもある吉岡昌成氏について、紹介させていただきました。
- 大阪市生野区の町工場で生まれ育った吉岡氏。
- 工業高校機械科、大阪工業大学建築学科を経て、「テンガロンキッド(現ヨシックスホールディングス)」を創業。
- 「いくつもの業態をまたにかける多角経営」「ピンチをチャンスに変える判断力と行動力」「人を重視する経営」で、現在進行形で事業拡大中。
今後の事業展開からも目が離せません。
今後、益々のご発展を祈念しております。
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